6日未明の地震により、ツール・ド・北海道が中止になりました。
深夜3時に起きた地震。滞在していた旭川は震度4だったみたいですが、4階にいたこともあり、かなり揺れました。
僕は飛び起きたのですが、それでも相部屋のスタッフ2人は爆睡でした。睡眠力もツアー中には特に重要な能力なので、それくらい図太い方が心強いなと、この時はそんな軽いことを考えていました。
僕はさすがに寝るわけにもいかないので、周囲の状況を確認しようと思っていると、すぐに停電になり、部屋の非常用ライトがつきました。
「これは大変なことになるかもしれない…」と思いつつ、もう成す術がないので、twitterで最低限の情報収集の後、眠りました。
朝になっても停電は続いていました。朝食は宿の方がなんとか用意してくださったようで、とても助かりました。後に考えると、簡単なことではなかったと思います。本当に感謝しています。
北海道全域が停電と聞き、twitterでショッキングな映像を見て落胆しました。
その日は予定していた第1ステージの試走をキャンセルして待機という選択をとりました。
6日から宿泊する予定だった駅前の藤田観光ホテルに移動すると、街中どこも停電で信号が止まっています。
(※6~8日の宿泊は大会側で手配してもらえますが、5日はチームで手配することになっています)
ホテルの駐車場はシャッターが空かず、もちろん館内も停電中。
チェックインも出来ず、車で待機の時間が続きました。幸い旭川駅前のイオンでは、即席のレジが作られて食料などの調達が出来ました。こういう時に頼りになるのは、さすが大手です。
そして、11時ごろになるとレースの中止が決まりました。
非常に残念でしたが、切り替えてフェリーや飛行機を探しました。しかし、キャンセル待ちが多いことや、ガソリンの問題で港までたどり着けるか分からないことから一度断念。
15時からは監督会議が行われ、正式にオーガナイザーの口から中止が言い渡されました。
理由は、レース開催に必要なスタッフ(警察やボランティア)の確保が難しいこと、コースの安全が確認出来ないこと、とのことでした。
もっともです。そもそも僕らもレースをやれる状況ではありません。普通の生活をするだけでも精一杯でした。
監督会議が終わるとチェックインが出来ました。
しかし、ホテルは変わらず停電中。
翌日からの宿泊先はこの時点では未定。大会側から2つの選択肢を提示されました。
1.本来泊まるはずだった、第1ステージのゴール地点帯広のホテルは押さえてあるから、そこまで移動する(約170㎞先)
2.藤田観光ホテルに延泊も含めて、旭川周辺で滞在する。(大会側が交渉するけど、取れるかは分からない)
どちらか一方にしてくれとのことでした。ちなみに2を選んで、もしとれなかった場合は、藤田観光ホテル内の広間で待機し続けるしかないとのこと。
少し悩んだ末、1はガソリンを消費するのが怖いので、2を選択。取れなかった場合に備えて、チーム側で5日に泊まった旅館を押さえましたが、こちらは停電が復旧したら受け入れるという条件付き。
難民のようです。
大会側が、各チームの人数を取りまとめて手配をし、翌日の朝6時半に配宿が発表されることになりました。
夜7時頃になると旭川では一部の電気が復旧し、少し安心しました。電気さえ戻れば大丈夫と判断し、通常通り9日まで北海道に滞在して、帰りは予定のスケジュールで帰ることに決めました。
夕食は提供されなかったので、イオンで買ったカップラーメンでした。お湯があるだけでもありがたいです。
その日は結局寝るまで電気が戻ることはありませんでしたが、翌日朝4時頃に部屋のトイレの電気がついて目が覚めました。
すぐにPCを充電し、やっと安心して眠ることが出来ました。
「これで宿がなくなることは回避した…」
そして寝坊。
安心しきったのでしょう。6時半の予定が7時に起きました。
配宿が決まり、今日7日と明日8日は旭川市の隣、東神楽町での滞在となりました。
苫小牧港までのガソリンもギリギリ確保。やっと落ち着けました。
今、電気を使って、PCでブログを書けることが幸せです。
ということで、僕らは無事です!
これは本当に多くの人の協力があってのことです。ありがとうございます。
最後に、思いがけず滞在することになった東神楽ですが、ここは自然豊かでオシャレなお店が多くて良い町です。泊まっているホテルもとても良いところです!
昼間、ケーキ屋やうどん屋で、店の外に出て道行く人に明るく手を振る若い店員さんたちがいました。災害に負けず商売繁盛して欲しいものです。
北海道の一刻も早い復旧と、被害に遭われた方々が穏やかな日を過ごせますよう心からお祈り申し上げます。
僕らは次のレースに向かって進み続けます。