2018シーズンの全日本選手権が終わりました。
今年はチームカーを運転してレースを見届けました。

まず、前日までのレースとコースの印象から、岸と柴田は100㎞までは待機と作戦を決めました。
柴田は消耗戦でこそ強さを発揮するし、そこにブレーンとして岸も残ることがチームが一番上を目指せる形だと考えたからです。

序盤に出来た逃げには下島、吉田、樋口が入り、チームとしてはまずまずの滑り出し…かと思いきや30名強は少し多く、嫌な予感がしました。
すぐに岸がチームカーを呼んできましたが、すぐに判断はせずしばらく待機と話しました。
前は人数が多すぎることで、先頭集団も引く選手とそうでない選手が出たりして、割れたりシャッフルがかかる場合もあると考えました。(結果としてはこれが最大のミスで、自分の采配の未熟さを痛感しています)

 

逃げ集団とメイン集団に一定のギャップが出来ると、チームカーはどちらの集団の後ろにもつけるのですが、ここで各チームの思惑が垣間見えす。

愛三とマトリックスはチームカーがほとんど逃げ集団の後ろにいる=逃げ集団で勝負。愛三は早川選手、阿曽選手など登りに強い選手が逃げに入っています。マトリックスも地脚のある佐野選手と、安原選手、田窪選手と登り系の選手なので前勝負でしょうか。

チームUKYO、キナン、ブリヂストンはどちらにもバランス良く選手がいて、チームカーも半々。

シマノはメイン集団にエースがいる。
ブリッツェンは前に4人いるが、登りというよりもスピード系の選手が多かったので前は不利かなと考えていました。
ブラーゼンはもちろんメイン集団の方が重要なので、チームカーもメイン集団にいる割合が大きくなります。

タイム差は徐々に5分ほどまで開きましたが、4周目あたりに一度3分台に縮まりました。
補給の為に逃げ集団へ上がった時には、ちょうど差が3分台だったのでそこまで危機感はなく、ただ、うちは前で勝負ではないので逃げ集団が割れる時だけ力を使うようにと3人に伝えました。
前では走ってみると調子の悪かった悠人がボトルを運んでいたので、樋口と下島は上手く温存出来ていたと思います。

逃げの補給が終わってメイン集団に戻るとこちらは一気にペースが落ちていて、また6分ほどに開いていました。
西尾が補給に来ましたが、まだ100㎞も越えていない距離だったので、何かアクションを起こすことはしませんでした。
(思い返すとどれだけ悠長なんだと恥ずかしくなります…)

そこからさらに差が開き7分台になろうかというところで、前で補給。
登り区間でメイン集団を抜いていく際、なかなか抜けずにいたところ、自動ブレーキが作動してしまい、メイン集団の選手を危険な目に合わせてしまいました。
あわや落車を引き起こしていたので、申し訳なかったです。すみませんでした。

前で悠人に補給をする頃には差が8分台に。
とにかくこの集団をそのままいかせないように、しつこく「牽かないように」と指示して補給。
ちょうど無線でコミッセールから、10分でメイン集団をタイムアウトにすると情報が流れたので、一旦優先度を逃げ集団に切り替えてチームカーはそのまま逃げの後ろに付きました。
補給所でうしろの集団を牽くようにと伝言して、もう少し差が縮まるのを祈っていると樋口に呼ばれる。何やらシューズに問題が起きているらしい。
チーフコミッセールに相談して、なんとか走りながらシューズを直し、事なきを得ました。思えばここからゴールまでは怒涛のトラブル続きでした…

樋口が逃げ集団に戻ると、次の情報でなんとアタックしていると入りました。
「バカ野郎!一番弱いチームが活性化の口火を切ってどうするんだ!」と思いながら見守っていると樋口が落ちてくる…。

トラブルでもう長くは走れないから、少しでもチームメイトのためになればと思っての事だったようです。
気持ちは分からなくもない。ただ、どんな動きも強ければ正解だし、弱ければ不正解になる。弱いなら波風立てないことも正解だったりする。

まあ、若者は失敗を繰り返して成長するんだと温かく見守りたいです。

この動きで活性化した集団が3つに割れ下島のみが第3集団で食らいつきます。
悠人をしばらく粘らせるが先頭もレースが動いている状態で追いつけそうにないので、補給を渡してメイン集団でもう一仕事、うしろの集団を牽くように指示して下島の後ろにつきました。

正直、下島がここまで残ると思っていなくて、最初に動いたのもアシストとしての意味が大きかったのですが、本人は内心それでもやってやろうと思っていたのでしょう。
30名強の逃げからは力のある選手たちも多く遅れる中、良く粘っていました。

しかし、残り3周のコース最深部の登り区間でメカトラが起きてしまいました。ここは道が細くてチームカーが上がるのに少し時間がかかってしまいました。
マビックのニュートラルバイクに飛び乗るもペダルがシマノで合わず…チームのバイクも岸のセッティングに合わせていたため、サドルを調整してリスタート。2分近く止ってしまったと思います。

そこからなんとかカーペーサーで元いた集団まで戻るも、ホイールに問題があり次の周で交換のためストップ。
もう一度、第3集団まで戻りましたが、もう先頭を追うどころではありませんでした。

前で色々起きすぎて、後半はメイン集団にいれなかったのですが、やっとチームカーを路肩にとめ、後ろを待ちました。
すると猛追してくる小さな集団が見えました。残っていてくれーーーと祈りましたが、誰も来ず…。ブラーゼンの全日本選手権が終わったことを悟った瞬間でした。
この小さな集団にいた選手たちは最終的に4位まで追い上げた入部選手をはじめ、国内トップの選手たちです。
これらの選手たちと真っ向からは戦わない為に、前半100kmは動かないようにしたのですが、かえってメイン集団の方がキツいレースとなってしまいました。

そこからはまた下島の後ろまで戻りゴールまでひたすら補給と檄を飛ばしました。
チームの結果は惨敗ではありますが、シーズン序盤に怪我で苦しみに苦しんだ下島がひたすらにゴールを目指す姿は、僕の目には印象的に残っています。

全日本選手権は本当に難しいレースですが、どの選手も全力で戦い尽くしました。そして今回は監督がヘボでした。

思えば、2014年八幡平での全日本選手権で佐野選手が1周目から逃げて勝ったのをチームメイトとして見ていて、あの時の状況と似ている部分もありました。TTで惜しくも2位だった2014年。メカトラブルで失った2018年。TTの鬱憤をロードで晴らす佐野選手の大逃げはまさに同じ状況でした。
また、逃げに入ったクラブチームの選手が強力だったのも2014年と同じです。2014年は武井選手。そして今年は井上選手、高岡選手。プロチームの選手が後ろを待ったり、けん制する中、この二人の選手が逃げの30名を大きく牽引したことがレースを決めたのかもしれません。

佐野選手が逃げに入った瞬間、チラッと八幡平がよぎったのですが、何も手を打つことが出来ませんでした。
選手がこのレースに向けて体を研ぎ澄ませるように、僕ももっと事前の準備を入念に行わなければならないと感じた全日本選手権でした。

 

 

最後にキナンサイクリングチーム、優勝おめでとうございます!
先頭30名の中で、やや数的不利な状況をアタッカー2人が前に前に行って切り崩すという本当に強いレースでした。

全日本選手権は終わりましたが、シーズンはまだまだありますので、1戦1戦大事に、こだわって戦いたいと思います。