19年シーズン公式戦は全て終了しました。応援ありがとうございました。

今年ここで出すのは初めてかもしれないレースレポートです。

 

迎えたシーズン最終戦ツールドおきなわ。走行時間は5時間以上。コース概要は、行きは向かい風の中50km以上海岸線を走行し、2回の「普久川ダム」を登る。下って直ぐに「小学校の登り」へ。帰りは「東村のアップダウン」をこなした後に「羽地ダム」の登りを越える。ここが毎年勝負の分かれ目になっている。そんな8の字を描くような210kmのコースレイアウトである。

出走は645分。他のレースと比べて圧倒的に早いスタート時間である。出走2時間半前には朝御飯を食べる必要がある。前日は8時半に就寝し4時に起床して、9時間半ほど回復させる事が出来た。

いつも通り空腹で目が覚めて食いしん坊のメリットを発揮。朝食をしっかり食べて5時間210kmの長丁場に備えた。

スタート会場に行くと、栃木、茨城、奈良などからサポーターの方々が応援に駆けつけて下さっていた!一緒にブラーゼンフラッグを持って写真撮影!スタート前のこの時間はとても嬉しく大好きだ。

ブラーゼンサポーターの応援を受けてレース開始。23km経ってからローリングスタート!早速、Sauerlandkinan元喜選手が行く。「沖縄特有のアタック一発で逃げ決まるやつや」と思ったら案の定2人逃げが決まった。

(photo by satoru kato様)

調子を確認する為に前に位置取っても脚はフレッシュ。2人逃げと集団のタイム差が1分差になった場面でWtc de amsterの選手が1人でカッ飛んで行く。昨年このレースで逃げに入りラスト5kmの最終局面まで勝負に絡んだ強い選手である。一瞬脚が勝手に反応しかけるがチームからのオーダーを徹底し、見送った。ほんとは逃げ屋として前へ前へ走りたい。

ここからkinanチームが集団に蓋をして(先頭に陣取りスピードを落とす)、先頭とのタイム差は14分まで広がった。ここから国内uciコンチネンタルチーム各1名ずつ集団牽引する選手を出し始める。ここで同郷チームから1人出してと要望が入る。4人出走(他チームは5)という厳しい状況だったが、ハヤトさんに集団牽引をお願いした。後ろの魁斗、ケイトと3人で位置取り。

チームメイトが集団牽引する場合はある程度、前の方で位置取りが出来る。間に入れて とお願いする今回の交渉相手は、ワールドツアーで戦うチェン・キンロー選手率いるchainese taipei 代表チーム、、、。後ろで吠えてる選手が居たが、話したアシスト選手は意外と優しく、事なきを得た、、、。

レース開始45分地点から補給食を食べ始めた。お腹空いてしまっては時既に遅し。またレース終盤で補食を消化し切った状態で脚を回す為である。

ケイトに飲み物と補給食をチームカーに取りに行ってもらう。1回目の普久川ダムは今までにないスローペース。嵐の前の静けさというか、この時間は余計に長く感じて嫌いである。

高速ダウンヒルから次は半時計回りで辺戸岬へ向かった。ここから風向きは追い風へと変わり集団はペースアップ。選手は海岸線の山側を一列棒状で走行し、海からの横風にナーバスになり始める。

あっという間に2回目の普久川ダム麓まで残り4km3人でブラーゼンの位置取りを前へ上げるとなると、登る直前で一気に前に出ないといけない。そう考えていた矢先、集団牽引後遅れたかと思ったハヤトさんが登場! ケイトハヤトさん柴田魁斗 の順で前へ運んでもらい、集団は麓に到達。先頭から6番手あたりで登り始める事が出来た。

先頭のペースアップにいつでも対応できる場所で、気持ちも脚にも余裕を持って2回目の普久川ダムをこなせた。比較的落ち着いたペースで次の登りへ。自分とってはここからがレース。ケイトにはボトル運びに専念してもらい、魁斗と自分は協調してアタックへ対応する。

まず一つ目の勝負所「小学校の登り」。14分ほど踏み続けるこの坂で毎年大きく人数が絞られている。しかし、纏めたいチームも多く30名以上の集団で登りを越えた。

「東村のアップダウン」では、前で抜け出せた選手が例年勝負に残っている。昨年はここで抜け出しを許してしまった為、勢いのあるアタックには躊躇なく対応した。決まらず集団に引きずり戻される。羽地ダム一本勝負にしたいチームが多いのか、、、。しかし、今年は大きく違う事があった。東村までに冷たいボトル2本も貰えた事は初めてで、ケイトのアシストが光っていた。

東村道の駅を超えると、あと2つ程、1~2分の登りがあることがpioneerメーターの標高図を通して確認出来た。勝負前のここでoxyshotも注入。

またアタックが始まる。自分は位置を下げすぎないようにチェックに入り、東村から一発目の登りではカウンターアタックに魁斗が反応してくれた。

2年前アシストとして参加した時もは、二発目の登りで後続と差を付けれた。昨年はこの登りで抜け出したグループでゴールまで行った。

そして二発目の登りへ。カイトが前にいるお陰で集団全体をみる余裕もできた。力のある選手が勢い良く抜け出すまで我慢。2人逃げは厳しいが3人なら、、。

二発目登り頂上が見えて来た。パイロンで片側一車線に規制されていて下りは幅員減少だ。パイロンが見えた矢先、ukyo内間選手がアタック。続いてshimano入部選手のアタック。物凄い勢いだった為、自分の身体も一緒に反応した。

下りは全開で、先頭出たらささっと交代。3人の飛び出し決まった。と思いきや4人目同郷のチームが追いつく。チェック?にしては物凄いハイスピードで牽く為、後続とも一気に開いた。飛んできたのはあの増田選手である。

(初めて出会ったのは大学一回生自転車始めた頃で、同じ舞台に立つことになるとは。)

この中から勝者が決まるかもしれない。

残り距離、人数は違えど、勝ち逃げに入ったツールド北海道第1ステージと心的状況は一緒である。ここで同じ失敗をしてはいけない。1周だけローテを飛ばしたあと、増田選手の後ろでスピードを殺さないように且つ、出来るだけ効率良く回り始める。

(photo by satoru kato様)

東村から羽地ダムは自分にとって過去最速だった。羽地ダムの麓は昨年よりも10km/hも早いスピードで突入。増田選手は麓から1本牽きで後ろ3人も一列棒状である。そこからの続けてアタック!増田選手の真後ろで次元の違いを見せつけられた。一回、力が逃げてしまったそのとき、内間選手から車間を付けられてしまった。

(photo by satoru kato様)

登り中腹まで来たときギアを軽くすると、この日2位勝負をすることになるbridgestone石橋選手、ukyoプラデス選手が追いついてくる。トンネルの手前まで掛けたがつき切れず、ここで表彰台、勝負グループからこぼれ落ちた。トンネル後に魁斗を含む後続グループと合流。羽地ダム最後の登坂で潰れかけたが、ここはなんとか耐えた。僕のグループは5位集団。ゴール前に抜け出すしかもう手札はない。

ラスト1kmあたりでAisanジェイソン選手がかっ飛んで行く。集団に埋もれたタイミングで乗れない。最後の最後で大きな失敗をかましてしまった。スプリントも掛けたが何も残っておらず集団最後尾ゴール。

これにて19年シーズンラストレースは終了。チームメイトとの連携は悪いものでは無かったと思う。ハヤトさんは調子が優れない中で予定の十二分の働きを、ケイトはスタートから東村まで幾度のボトル運びを、西尾兄弟の海岸線リードアウトは本当に格好良く素晴らしかった。

魁斗はハイスピードの位置取りを自分の後ろで、アタック合戦では必要なチェックに入り自分を守り続けてくれた。表彰台に向けてチームメイトが完璧に下地を整えたこのレース。自分はエースとして結果で答えるだけだったが、最低限の数字すら残せなかった。

春先のブランクでアシストとして走る事も多かった今シーズン。ロードレースではアシストとして徹底した走りが出来た事もあった。しかし、今年のツールドおきなわもエースとして走らせて頂いたものの、プロにはなり切れなかった。

今回のレース後には、ある他チームの方から  強かったな と声をかけてもらい、客観的にみて昨年より成長した部分もあったと気づいた。

「プロ集団としての意志」を持ってレースを走ったのだと証明し切れた訳ではないが、チームメイトとその意志を示すことはできたと思いたい。

レースにかかっている熱量とスタートラインに立つまでの働きに対して、選手として自分の値打ちを証明出来るように、捲土重来を期したい。どんなコースであっても。