歴史と伝統のあるこの大会に、地元チームとして、那須ブラーゼンは参加しました。
台風19号の影響で一時はどうなるかと思いましたが、様々な人が大いに力を尽くしてくれて、無事に開催に至りました。感謝しかありません。
このブログを書いている10/23水曜日に、とある練習コースに行くと台風の影響で全く走れ無かったです。
ジャパンカップが開催されたことが、本当に色んな方々のご尽力のおかげだと、改めて強く感じました。
10月19日 クリテリウム
忘れもしない。心が震え、心が躍り、活気と熱気に包まれた会場で興奮が収まることはなかったです。
どこを見ても人、ひと、ヒト!!!
360度人に包まれた会場。初めて見る景色でした。
その歓声のいちいちがまるで自分に、自分だけに注がれていると錯覚するほどテンションも上がり、正に高揚していました。
レースは序盤に飛び出したユンボの選手とマトの佐野選手を追いかけるも捕まえきれず。
そこからは集団にしがみ付くのが精一杯。大落車を回避し、なんとかゴール。
チームとしては下島さんの30位が最高位。もっとやれることがあったと反省点も多く改善したいところ。
10月20日 ロードレース
過去にこのワールドクラスのレースを観客として見ていたが、出場するとなるとまた別物だ。
凄まじい人と応援、
そして誰かに向けられた古賀志名物の床文字も、今年は自分もその一部なんだと、嬉しく、興奮してしまった。
レースは逃げに乗ることを第一に、先頭に並ぶ。隣にはEFやTREKがズラリ。こんな猛者達が先頭に並ぶことでわかることは一つ。1周目の古賀志は様々な意味で死ぬほど大事だっていうこと。
逃げに乗るために持っていたイメージは2018年のオスカルプジョルの走りだ。
だがしかし、僕自身にはそこまでの力が無かった。気持ちばかりが先走ってしまい、冷静さを欠いていた。
アレは逃げに乗るための走りでは無く、集団を縦に引き伸ばすもしくは逃げに乗る選手のアシストと言ったところだろう。
観てる人の目にどう映ったかは分からないが、このミスを、このトライを、いつか意味のあるものにしたいと、強く、思う。
チームは3周目に入る頃には勇人と柴田さんのみ。
2人ともパンクで遅れ、柴田さんだけがゴール。しかし記録状はDNF。
僕は柴田さんの走りを見れていないけど、最後にサポーターの方の前で挨拶していた柴田さんの背中はその何もかもを背負っていたように感じた。
レース直後に柴田さんと会って、開口一番に言われたのは「良い走りだった。」
僕が柴田さんならあのパンクした時、誰かがいてくれればと思っていたはず。
そんなことも含めて大きな背中に見えた。
いや、背中は元々大きいですね。
レース終わりのアフターパーティーも楽しめました。乾杯はビールでは無く、ピーチウーロン🍑にしたいケイティです。
10月21日 バンクリーグ
1回戦目のBSは手も足も出ず。。
2回戦目のブリッツェンは栃木ダービー。んー、岡さん強い!!
3回戦目?のチャリダーは楽しめました。笑 混成チームということで一緒に走った佐野さん、頼しすぎます。
ジャパンカップ、そしてバンクリーグ
開催に関わった全ての人に感謝してます。そしていつも応援してくださるブラーゼンサポーターの皆さま、本当にありがとうございます。
皆様が与えてくれた感動を結果で恩返しします。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
西尾憲人
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