さて、昨日掲載した前編に続き、エタップ・デュ・ツールドフランス2019 参戦記・後編を掲載いたします。
ちょうど、本日9月12日はツール・ド・フランス第14ステージのゲストコメンテーターとして出演させて頂きますので、こちらの番組も併せてご視聴頂ければ幸いです。

【番組情報】
9月12日(土)午後8:55~深夜2:00 J SPORTS『Cycle*2020 ツール・ド・フランス 第14ステージ』
https://www.jsports.co.jp/program_guide/12/04/87683_4222054/

エタップ・デュ・ツールドフランス2019 参戦記・後編

2つ目の山岳2級山岳コート・ドゥ・ロンジュロワに突入した時点では、目標の下方修正を頭では受け入れつつあった。しかし、あまりの斜度と、思わしくない身体状況では、ペーシングよりも、ただ脚を回転させることが精いっぱいという状況だった。

コート・ドゥ・ロンジュロワを超えるまでに、選手時代も含めたサイクリスト人生の中でも最も苦しいライドであると感じ始めていた。この時点でレース距離は半分も消化していなかったことも、背中にずしりと重たいものを感じさせた。

【2級山岳とは思えないパンチ力を誇るコート・ドゥ・ロンジュロワ】

【とにかく必死に踏むがペースを落とさないようにするのがやっと】

登り区間を終えるとすぐさま下りに入るため、どうしても登りで失ってしまうタイムと順位を取り戻そうと全開のダウンヒル速度で、登り区間と同等距離のある下り区間を攻め続けた。幸い、体調がすぐれない中でも、ダウンヒルに関する恐怖心は感じずに終始攻めることが出来ていた。

ロンジュロワを超えると、先にムーティエの街が見えてきた。アスプスの谷間にある街で、超級山岳ヴァルトランスへの入り口でもある。

時刻は正午を回っており、気温が一段と高くなってきている。ムーティエに到着した時にはとにかく暑さが厳しく感じられた。ここまで既に5時間が経過しており、レースの中の順位としては3000人程度が前にいる状況だろうか?

長く熱中症のダメージを負ったまま走り続けていたためか、時折視界がかすんだり、揺れたりする。体にもより力が入らなくなってきた。かなりまずい状況。正直、走るのをあきらめた方が良い状況かもしれない。

【画像はあまり関係ないが、背中に悪魔でもとりついてしまったか?(笑)】

【100km地点にムーティエの補給地点があることを確認】

「もうこうなってしまったら走り切れさえすれば良い」と自分に言い聞かせながら、「今の状態のままでは走りきるどころか途中で倒れてしまうかも?」とネガティブな考えが頭をよぎる。
この先の超級山岳ヴァルトランスの登坂距離は33kmあり、このままでは確実に越えられない。ムーティエでこの日3度目のストップを決断し、同時にしっかりと休んでヴァルトランスを登りきるための回復をはかることにした。

【サイクリストのことをよくわかってるなと思わせる補給所の数々だった】

エタップの補給所はどこも本当にサイクリストのことをよく知っているなと思わせるラインナップがなされている。水分と共に、カロリー源となるコーラ、ミネラル補給になる生ハムとオリーブなどを補給できた。

【ヨーロッパでもっとも標高の高いスキーリゾート“ヴァルトランス”】

今エタップ最終山岳にして2019年のツール・ド・フランス決戦の地に選ばれた超級山岳ヴァルトランス峠の入り口に差し掛かった。峠の長さは33km。登り始めればペダルの回転を休めることは許されない。

峠の序盤は平均8%近い斜度に加えて、昼時の厳しい日差しが襲う魔のヒルクライム区間となっていて、途中で力尽きたライダーも沿道に数多くいた。

ひたすら前輪だけを見ながらギリギリの速度で登り続ける。他のライダーをパスするよりもされる方が多い状況。ペースはもうこれ以上上げられない。胸元にあるコンチネンタルチームのロゴを汚してしまう様で恥ずかしさも感じたが、もうとにかくゴールを目指すだけで目いっぱいだ。

徐々に標高を上げ斜度が一旦はなだらかになり、山間部に点在する美しい村々が気持ちを癒しますが、身体の方は標高を上げるごとに酸素の薄さにも襲われはじめていた。上り坂が永遠に続くかのように感じていた。

ちょうど登り始めて半分くらいの距離を消化したところで目の前にサン=マルタン=ド=ベルヴィルと標識が見えた。ここにも補給地点が用意されているのでもう迷わず寄ることにした。
(今年のツール前哨戦クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ第3ステージのゴール地点の街)

【きつすぎて登っている途中の景色は全く記憶がない】

サン=マルタン=ド=ベルヴィルの補給所に到着すると、提供し終えた補給物資の段ボールを使って横たわっている人々がたくさんいる。どうやら私と状況が近いライダーが無数にいる様だ。正直、プライドとの葛藤になった部分もあったがとても立っていられる状態ではなかったので、山積みになった段ボールを拝借して日陰に座り込むことに。
座ろうとしてかがんだら脚がつってしまった。たまらず寝転んで攣った箇所を伸ばそうとすると今度は対称箇所が次から次へと攣ってしまう。

「本当にまずいぞ。あと20km以上も登らないといけないのに・・・」
残り距離を考えてかなりネガティブな気持ちになってくる。

補給をとりながら脚の攣りがマシになるのを待つ。
30分はロスしてしまったがやっと水分とミネラルが回ったのか攣りの症状がマシになってきた。

もう鉛の様に重くなってしまった身体を奮い立たせて何とかペダルをこぎ始めた。
残り20kmの戦い。目指すは完走だが、あまりにも途方もない距離の様に感じる。

手元のメーターをみると時速10kmを切っていることもしばしば。
きつすぎる。でも、この挑戦を最後までやり遂げずに逃げるわけにはいかない。

標高が高くなってきて気温が少し下がったように感じた。
身体が少し楽になったせいか、これまでのサイクリストとしてのキャリアを思い起こしたり、ブラーゼンを立ち上げてからこれまでのことを思い出したり、きつい訳ではあるが自分と向き合う良い時間だった。

スキーのリフトが見えてきて段々ゴールが近づいてくることを感じる。勾配がまたきつくなってきた。
もうここまできたら押し切るだけ。シッティングでは全く進まなくなってしまったので、とにかくダンシングで出来るだけの推進力を稼ぐ。

つづら折の先、頭上あたりにゴールが見えてきた。
この日のスタートした時は想像もできなかった様なゴールを迎えようとしている。スタートした時がはるか昔であったように感じる。途中のことを思い起こすとよくここまでたどり着いたなとも思った。

残念ながらゴールラインを切った際の写真が残っていなかったが、ゴールで待ち構えている大会スタッフの拍手に迎えられるフィニッシュは本当に格別だった。

フィニッシュして記念のメダルを受け取る。
やり遂げたんだという思いと同時に情けなさや、他にも言い表せないようなたくさんの感情が一気押し寄せてきて涙がこぼれた。

この道程、挑戦に向かった半年の事、スタートラインに立ち、挑戦をし、フィニッシュにたどり着いた自分の境遇のすべてを思い、そして、この特別な場所の景色がそうさせていたのだと思う。

決して目標の順位や記録でもなく、華やか走りでもなく、元プロ選手としてのキャリアを考えれば、到底、まともに走ったとは言えない状況だったが、間違いなく、これまでのサイクリスト人生で最高のフィニッシュだと感じた。

この1日の為だけに集中をして、すべての時間を費やし、でも全く想像も想定もしていない状況に自分自身が置かれた瞬間に、でも、「今やれることはやる」と自分に言い聞かせ直したことも大きな経験だった。

私は、競技の世界に生きながら、思いを遂げらず競技者として静かに退いたその瞬間から、私自身の中には成仏の出来ない魂が滞留してしまっていたように感じていた。
その想いと8時間半に渡って、世界最高の舞台で、ゆっくりじっくりと向き合うことができたのではなかっただろうか。

人生おいて最高の糧となる瞬間だった。

【決して誇れるようなものではないがとにかく自分自身と向き合って走りぬいた記録】

【先にフィニッシュしていた小野寺選手と共にフィニッシャーズビール(ノンアルコール)で乾杯】

‐つづく‐次回はシャンゼリゼのゴールを見守った番外編を掲載します。